戦略的に”可愛がられる”ためには
私感ではあるが…同世代の人間と「ばかり」付き合ってちゃダメ(爆)
スポンサー探しをすれば直ぐ分かる。決裁権限を持つ人間にいかに近づくことを可能にするかがポイント。ああ人脈ね、となるわけだが異業種交流会も結構であるとは思う。だがそこに儲かる「種」はあっても「土壌」は無い。まずは大型マスである団塊世代全部を嫌う前に、そのヒエラルキーのトップに君臨する人間が誰なのかを見定めるほうがより自分がラクに動けるというもの。「情を持って可愛がられる」次世代の役割をひょうきんに捉え尻尾を振りまくる事をプライドとして出来ない人間は不器用であるといわざるを得ないが、私はそういう人間も大好きだ。
女性の中で焦り狂う姿だけがメディアにクローズアップされているアラフォだのアラサーだのも居るのだろうが、その裏で虎視眈々と「意図的に」スイーツ(笑)女だろうと小悪魔Agehaだのと自分を擬態している賢い女性も居ると思うよ。彼女達の目線は三十路四十路のチェリーボーイスピリッツ持ち達になどハナから向けられず、お馬鹿さんな女の子☆を可愛がる更に上の世代の男性達をフォーカスしている場合が多いのだから。これはお水な皆様だけじゃないところが狡猾になってきているとは思うけれど私も同類なのでワハハハハー(汗)である。セクハラ?オヤジギャグ?ナンボでもどうぞどうぞ。お局を馬鹿にすんなや。
女だけに許された戦略を唾棄し断罪するのはかまわないし確実になーんも考えていないバカ女も居る事は確かだが、そこにある方法論は、決して今の若者世代の男性たちに果実として捧げられないものではないと思うよ☆
無所属の幸福
私が上から見下ろしているのか奈落から見上げているのかは分からないけれど、「自称できない」といいながら自称するジャパニーズギーク婦女たちが無性に怖い。その活動への意思や自覚する”ネットスキル持ちのネアカ特性”を肯定しているところは非常に好ましいし応援したいと感じるのに、(GeekにしてもOtakuにしても、ヨコモジにしただけでアクティブ&ポジティブ!なイメージに転嫁できるしね)このもやもやは一体何…www
テクノロジーの発展もライフラインとしてのWeb網も、強気で言い放してしまうならば他者への利便向上への使命感が裏打ちされていると私はもう感銘しまくってしまうわけだが。「楽しいことやろうよ!」はアリだけど、身内びいきで終わっちゃうのは貴女方の技術力もったいねーなー、とか感じてしまう。私はこの手のサービスを「利用」するだけで精一杯のダメ子だから。どこにも擦り寄ることができないだろうし、男目線で集合写真を見るとどうみても抱きたくない女ばっかりなんだよな…。ヒトは見た目が9割!マジで恐ろしいな(で、テメエはどうなんだといわれれば微生物以下ですよ)というわけで無所属の幸福は孤独と表裏一体なわけですな。ハイ。ごめんよ。お友達のいない子が叫んだだけだよーw
“ ヘルメル「ノラ、私はお前にとって永久に他人以上にはなれないのかい?」
ノラ「ああ、あなた。それには奇跡中の奇跡が現れなくてはなりませんわ」
ヘルメル「その奇跡中の奇跡とはなんだい?」
ノラ「それはあなたもあたしもすっかり変わって -
…いいえ。あなた、あたしもうそんな奇跡なんて信じませんわ」
ヘルメル「だが私は信じよう、さあ、言っておくれ。わたしたちがすっかり変わって…?」
ノラ「あたしたち二人の共同生活が、そのままほんとうの夫婦生活になれるときでしょう。
ではさようなら」 ”
『人形の家』 イプセン/矢崎源九郎訳・新潮文庫S28年 最終幕最終台詞
Could you find Mickymouse in these fruits?
ダメ子がおずおずひとりごと
Tumblrをチュブラニールと呼んでいたりタンバリンに見えちゃっていたくらいで何を言うのさも、紹介するのさも無いわけで、結局ウェブの中で「情報」と「操作」について一歩腰を引けた形で見つめるくらいが関の山。ニマッと笑えるもんがあったらソレはそれで宜しいんじゃないだろうか。これはTwitterについても同じ。トゥイター、と言っていたらIT関係者に鼻で笑われ涙目に。つ、ですよ、「つィッター」だって。別にどっちでもいいだろw 何だかネット以外で商売していると、ここらへんからしてネット関係者(とあえて強引にカテゴライズしてしまおう)の共通リテラシーと私が持っているそれがじぇーんじぇん違うことだけが分かってあららん。 でも楽しそうだから色々おしえてくれそうな先達にそっとフォローをかけてみる。ちなみに私はベタでありますがガッキーの笑顔にクラッときます。